新進演奏家によるオール・ベートーヴェンプログラム

2021年03月06日 13:00開演
会場:あいおいニッセイ同和損保ザ・フェニックスホール
去年はベートーヴェン生誕250年で多数のコンサートが企画された。本公演も同じ動機で昨年5月3日にやる予定であった。
しかし新型コロナウイルスが世界中に流行して次々と流れた。
本公演の話、実は一年前の去年3月に出演者の藤本さんから聞いた。しかし正直、このご時世なので公演中止を覚悟していた。ところが、
そうではなく公演延期になった、と11月に聞いた。日程も空いていたし、好きな作曲家。是非もない。

ザ・フェニックスホールは4回目。何故か4回ともベートーヴェンを聴いている。
室内楽向けのホールであるが客席と舞台が近い。御堂筋に面してスタインウェイを持つホールがあるのか、と最初来た時は驚いた。
今日はベートーヴェンの室内楽を網羅する7組によるジョイントコンサート。

作曲:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)
ゲーテによる3つの歌曲Op.83より
悲しみの喜び
あこがれ
作詞ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
Sop:中部真美
Pf:山本裕美子

文豪ゲーテはドイツを代表する知識人でありベートーヴェンもまたゲーテに憧れた。
例えば劇付随音楽「エグモント」は元々ゲーテの戯曲であり、序曲は著明。
しかしソプラノとピアノによる歌曲があるとは知らなかった。1810年作曲。
悲しみの喜びは短い作品で聴き易い。あこがれは一転して短調。「彼女に憧れて飛び回る主人公を描写する旋律」なのだそうであるが
有節歌曲と云う形で繰り返される。
意外とピアノが鍵を握っている。最後の連だけ長調に転調する。曲調が変わる。
このパターン如何にもベートーヴェン。
中部さんはプログラムノートで「彼の心の中から溢れ出して止められなくなった希望を歌ってい」ると仰っていた。

歌劇「フィデリオ」Op.72より第1幕
第9曲レオノーレのレチタティーヴォとアリア「非道の者よ!どこへ急いで行くのか」

作曲家としてはジェネラリストであったベートーヴェンの作品はご覧の通り広範に及ぶが生涯でオペラを1本しか書いていない。
それが「フィデリオ」で作品から主役であるレオノーレのアリアがピアノとの共演で演奏された。
この第9曲は第1幕ではハイライトとなるシーンでレオノーレは夫を監獄から救う為にフィデリオと云う男に扮して監獄の看守の下働きに
潜入するが夫の身に危険が迫る。夫は刑務所長の不正を告発して逆に囚われの身に。隠滅する為に所長は殺そうとしている。そういう場面
で歌われると理解した方が聴き易い。
「フィデリオ」は日本センチュリー交響楽団が第250回定期演奏会で全幕を演奏会形式で上演したのを聴いた。その時は字幕があったので
ストーリー重視で聴いていたが今日は技巧的にコロラトゥーラが要求される難しい曲であると感じた。

ピアノソナタ第14番嬰ハ短調「月光」Op.27-2
Pf:山口美樹子

代わって主催者まほろば芸術ラボ副理事長の山口さんが、すっと登場。
「月光」はベートーヴェンの三大ソナタの1曲で演奏機会は、とても多い。
元々ベートーヴェンはOp.27の2曲をSonata quasi una Fantasiaと呼んでいた。
Fantasiaと云うように特に14番は幻想的な作品である、と常々感じているが
幻想曲風とも言える。嬰ハ短調は#ドミ#ソが主和音で、これを変形して#ソ#ドミ
として、この分散和音から始まるが、この分散和音が即興曲のスタイルだと言う。
即興曲と幻想曲の境界が曖昧であったから、ベートーヴェンは、こう呼んだ。
第1楽章は染み入るような。第2楽章へはアタッカで、と楽譜にあるが、それに従い
ペダルで音を繋いで第2楽章Allegrettoへ。軽快さがあって良い。4分の3拍子で
複合三部形式なので舞曲みたい。終楽章は嬰ハ短調に戻って、しかも#ソ#ドミが
アルペジオでPresto agitatoで、そうなると一見全く違う曲に聞こえるが実は一貫性
がある。「急き込んで」という意味では全くその通りの演奏であった。残念ながら
繰り返しはカット。このホールでは初めて「月光」を聴いた。

ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第8番ト長調Op.30-3
Vn:黒田小百合
Pf:田宮緋紗子

ベートーヴェンのヴァイオリンソナタは全部で10曲あるが、1~9番は1797~1803年
と偏った時期に作曲されている。およそ20代後半から30代。田宮さんの師匠である宮本
聖子さんはエネルギッシュな時期の作品と仰っていたが、それはその通りなのだが
一方で、この時期はベートーヴェンが音楽家としては致命的な難聴を自覚する時期でも
ある。作品によっては、それが強く現れるが本曲には影を落としていない。
しかしながら10曲あるが管見の限り演奏機会が均一である訳ではなく8番は、
私は今回が5回目。その内、2回が全曲演奏会である。
黒田さんが曲目解説に書かれた事で興味深かったのはベートーヴェンが9歳から
ヴァイオリンを学んでいた話。幼少期からピアノを学んでいたのは有名な話であるが。
ベートーヴェンがヴァイオリンソナタを開放弦が使える調を選んで作曲しているように
私には見えるが、その為かもしれない。大バッハの時代に遡るとヴァイオリンは助奏
楽器でソロとして成り立つ楽器と見做されていなかった。ベートーヴェンはピアノと
ヴァイオリンが対等にアンサンブルできるのだ、と作品中で主張して対等に扱う書法
を追求したのである。ゆえにベートーヴェンのヴァイオリンソナタはヴァイオリン
奏者の間で愛好されている。
8番はト長調で書かれた明るい曲である。シャンパンソナタと呼ばれる事もあるとか。
聴き手にとっては楽しい作品であるが、難曲。第1楽章はソナタ形式で提示部となる
冒頭はユニゾンで。「ト長調という調性はどんな感情からも自由な純一な心を示すと
考えられ」る、とは黒田流。Allegro assaiとある。第2主題はホ長調。これは驚き。
ホ短調ならば平行調であるが。提示部は繰り返しがある。従って再びユニゾン。
第2楽章は属調のニ長調でTempo di minuetto ma molto moderato e grazzioso
とある。メヌエットは実はベートーヴェンの造語で、であるからminuettoの
テンポで。grazziosoの通り優美な演奏である。一般的にメヌエット楽章はABAの
複合三部形式であるが、ベートーヴェンはABABABと提示部とトリオを2回
繰り返してコーダを置いている。
メヌエットは舞曲であるが本曲については終楽章Allegro vivaceの方が心を踊らせ
られる。終楽章もロンド形式なので輪舞曲。軽快な演奏に私もノリノリに。

全く気分爽快な作品であるが、それに似合わない現金なエピソードが伝わっている。
黒田さんも曲目解説で言及されているが本曲を含むOp.30の3曲はロシア皇帝
アレクサンドル1世に献呈されている。献呈されたら献呈料を払う事が当時の習わし
であった。宮本聖子さんのお話しによると1曲5万円が相場。しかしながら皇帝陛下
お支払いにならなかった。後に皇帝のお后にソナチネを作曲して献呈した折、その話
を振ったら、お后様から4曲分まとめてお支払いされた、との事。現在でもOp.30
の3曲はアレクサンダーソナタと呼ぶ。

フィラデルフィア木管五重奏団:編曲
木管五重奏曲 変ホ長調
Ob:塩田 咲
Fl:中川鶴美
Cl:新谷美歩
Hr:藤原郁美
Fg:永易伶菜

原曲は六重奏曲Op.71。作品番号で70近辺は傑作の森とロマン・ローランが呼んだ中期に当たるが、この曲は、そうではない。ベートーヴェンは気が向いたら若い頃の作品を後から出す、そんな作曲家であったが原曲は1796年頃と云うから25・6歳の作品。
知らなかった。原曲はCl2管、Hr2管、Fg2管と云う珍しい編成の木管六重奏。
振り返ると木管アンサンブルをあまり聴いて来なかった。今日もベートーヴェンの作品でなければ、この場にいなかったに違いない。
ベートーヴェンらしいのであるが冒頭に序奏が付いている。ユニゾンのAdagio、主部はAllegro。クラリネットによる軽快なソロ。楽しい。
第2楽章は緩徐楽章でAdagio、主役がファゴットに移る。
第3楽章はメヌエットでquasi Allegretto。
第4楽章Allegroは終楽章に相応しい楽器同士の対話が楽しめる。
すっかりノリノリになってしまった。
楽しい時は、あっという間で、時計は14時半を指し、15分休憩。もう1時間半も経ったの、という感。

ピアノ三重奏曲4番変ロ長調Op.11「街の歌」
Pf:藤本さえ子
Ob:上田ミリ
Fg:田中香織

後半最初に私に本公演の話を齎した藤本さんが出演。今日は知っている作品が多い中、
初めて生演奏を聴く音楽家が多い中、唯一生演奏を聴いた事がある音楽家。しかも時間
が経っているが一度だけベートーヴェンを聴かせて頂いている。「悲愴」の第2楽章。
2017年の10月の事。
ベートーヴェンは番号付きのピアノトリオを7曲書いている。その中で本曲は異色で
クラリネット、チェロ、ピアノのための三重奏曲となっている。明らかに本曲は
ヴァイオリンではなくクラリネットのための曲である。その証拠は調で変ロ長調は
ヴァイオリンに不向きでクラリネットはB管という変ロ長調に適合する楽器がある。
元々クラリネット奏者ヨーゼフ・ベーアの委嘱で作曲された。
今回はピアノ、オーボエ、ファゴットと云う変則的な編成のトリオである。
3楽章構成。ベートーヴェン定番のAllegro con brioで始まる。生き生きと快活な
演奏を、とベートーヴェンが言っている訳であるが三人の演奏は聴いているだけで
楽しい。ピアノトリオは各々の楽器に聴かせ所を作るのが特徴である。響きが違う。
ピアノはアルペジオ。
終楽章Allegrettoにベートーヴェン生涯のテーマ、変奏曲が使われている。
J.ヴァイグルの歌劇「船乗りの愛」のアリアが主題である事は初めて知った。
「街の歌」の由来。もうノリノリ。珍しい曲を珍しい編成で聴いた。

ピアノとチェロのためのソナタ第3番イ長調Op.69
Vc:中島 紗理
Pf:西村 奈菜

プログラムも残り2曲。ところが、この2曲が2曲ともソナタなのである。
先ずはチェロソナタ。5曲あるが、1・2番がOp.5、4・5番がOp.102と偏った時期に作曲されている。
では本曲は。Op.69しかも作曲年代が1808年と傑作の森時代の作品。代表作、交響曲第5番「運命」は1808年12月22日に初演された。
38歳の時。脂がのって素晴らしい作品が数多生まれて、と云う時期。本曲も例外ではなく、これぞチェロソナタと言うべき作品である、と
私は思う。ヴァイオリンソナタの時、私はベートーヴェンはピアノとヴァイオリンを対等に扱う書法を追求した、と
書いたがチェロの場合も同じ事。特にチェロはバロック時代、通奏低音を司る楽器であった。
大バッハの無伴奏チェロ組曲、息子エマニュエルの協奏曲、F.J.ハイドンの協奏曲とリレーされて楽聖へ。
本曲の聴き所は、まず冒頭である。チェロの独奏から本曲は始まる。このカデンツァが全体の提示部となる。中島さんが朗々とチェロを
奏でる。ピアノが受けて旋律。一転してイ短調が現れ「運命の動機」が奏でられて曲調が激しくなる。劇的。ピアノと
チェロが丁々発止の対話を繰り広げて本来ならば冒頭に戻るのだけれども繰り返しが省略された。
この公演時間の長さを冷静に振り返れば仕方ないけれども、入れ込んで聴いていたので残念に思われた。
再現部でもチェロが旋律を奏でるが後ろでピアノが内声を奏でる。従って独奏ではない。逆に受けてピアノ、の部分がピアノソロ。
驚いたのがエンドピンが演奏中に外れた事。
第2楽章はスケルツォ。リズミカル。西村さんの解説によるとシンコペーションが用いられている、との事。イ短調なので暗い速い舞踏曲。
第3楽章は序奏付き終楽章。Adagio cantabileなので、ゆっくり優美に歌うように、
と言っていたら属七。不協和音なので、うんと思って耳を傾けると主部Allegro vivace
へ突入する。このパターンは、ままベートーヴェンにある。2分の2拍子。速くて快活で聴いている方は楽しいが弾き手にとっては大変。
ベートーヴェンは抑々ピアニストであった。そして、かなりのヴィルトゥオーゾであった。それを思い起こさせる。
因みに本楽章も本来ならば主部に繰り返しがある。
お二人のデュオを楽しんだ。

ピアノソナタ第31番変イ長調Op.110
Pf:有馬みどり
最後を飾るのはピアノソナタ第31番。トリに相応しい。①後期三大ソナタの1曲である事と、後期とあるように②ベートーヴェン後期、
しかも最後の作品。後期三大ソナタ30・31・32番の内、出だしが最も輝かしいのが31番だと思う。♭4つの変イ長調で書かれている。
しかしながら3曲とも難曲でベートーヴェン生誕250年の去年、結局一度も生演奏を聴かず。
今日は有馬さんもまた初めて生演奏を聴くが名前は知っていた。何故なら第10回松方ホール音楽賞の大賞受賞者である為。ゆえに実は二重に
楽しみにしていた。
変則的な楽章構成。第1楽章がModerato cantabile molto espressivo。速いでも
遅いでもない楽章であるが結構速いテンポで弾かれていた。鮮やかなアルペジオ。
第2楽章、ド♭シ♭ラソファファ♭ミと始まる。平行調のヘ短調へ転調。第1楽章が
ヘ短調なら第1番や「熱情」の先例があるが。第一波は静か。しかし第二波は強く
激しい。短いが強い印象を残す。ゆえにCMでも使われた。Allegro molto
同主調のヘ長調に転じて楽章を閉じる。
終楽章は♭が1つ増えて変ロ短調で始まる。ベートーヴェンが敬愛していたバッハの作品から採られた嘆きの歌。ベートーヴェンの嘆きが
聞こえてくるような暗く悲しい音楽。後期三大ソナタを作曲した1820年~22年はベートーヴェン50歳の頃であり、
56歳までしか生きなかったベートーヴェンの人生においては晩年。耳は全く聞こえなくなり筆談帳で会話していた。であるから人と関わる
事が億劫になり、かの肖像画のような、しかめっ面になった。実は、あの肖像画は、この頃の作品である。手に持っている楽譜が
ミサソレムニスなので。どれだけ暗黒の世界であったろうと想像する。しかしベートーヴェンは引きこもっていた訳ではなかった。
大バッハが多用したフーガに活路を見出した。先程、難曲だと述べたが一因は、このフーガにある。
ベートーヴェンは28~32番のピアノソナタでフーガを用いた。本曲の場合、
主調変イ長調に戻ってAllegro ma non troppoで提示される。壮大。しかし嘆きの歌が再現され、中断。
しかし再びフーガに戻って最後は変イ長調の主和音♭ラド♭ミの
アルペジオで壮麗に終曲。圧倒的であった。2016年から3年がかりでピアノソナタの全曲演奏会をされていたと云う。納得。

終演は15時45分。従って2時間45分のロングコンサートであった。しかし私は
次から次へとベートーヴェンの室内楽を生演奏で聴けて、とても楽しい時間を過ごした。
時が経つのを忘れ、大都会の真ん中で世の中の喧騒から離れて充足感のある公演であった。
企画から一年以上と云う中、コロナ禍にも倒れず開催までこぎつけて下さった全ての
人に感謝して結びとしたい。ありがとうございました。

大阪北部地震

6月18日7時58分、大阪府北部でM6.1の地震が発生しました。少し落ち着いたので振り返って
みたいのですが私が地震波を感じたのは8時頃だと思います。体感としてはM6より、もっと大きな地震に
思われました。そう感じたのは震源が深さ13kmと浅かったからです。震度は4でしたが体感としては長くて
久しぶりに怖い揺れでした。
もう23年半ほど前になりますが阪神・淡路大震災を体験しましたので地震には過敏な所が
あるのですが、実際問題、犠牲者も出ています。お亡くなりになった方には哀悼の意を表します。

私にとっては、これから出勤という時間でした。神戸市営地下鉄で通勤しているのですが、
最寄り駅へ行きますと8時18分になっているのに、まだ「8:08」で結局12分遅れて入ってきました。
しかも地震が発生した為、普段なら最高速度90km/hの電車が25km/hの徐行運転。
普段なら9分の所、20分を要しました。何とか朝礼に間に合いました。

今回の地震も天災という面のみならず人災という面が出ました。ブロック塀です。
建築基準法に違反したブロック塀の下敷きになって登校中の小学生が亡くなりました。
違法建築がまかり通る等あってはならない事です。

阪神・淡路大震災から23年

阪神・淡路大震災が起こってから23年が経ちました。当時、小6であったのですが、M7.3と
巨大地震でしたが揺れが最大で震度7と大きかった。ゆえに、でしょうか予期せぬ揺れに
驚く自分が居ます。忘れろと言われても忘れられません。今日は訓練で緊急地震速報が流れ
ました。聞いていたので驚きませんでした。

藤島武二展

久々に藤島武二が来る、そういう実感で特別展を受け止めていた。10年ぶりだと思う。
10年前の時の展示を私は観ている。その時に書いた記事が炎上して今、消火に追われている。
http://ohmae.at.webry.info/200711/article_1.html
本題から逸れた。記事中、父が招待券を定期的に頂いてくる、とあるのは当時、神戸市に勤務
していたから、であるが別のルートで父が無料観覧券を入手してきた。
神戸市立小磯記念美術館で開かれている。先日ようやく全ての展示を観る事ができた。
藤島武二と小磯良平が師弟なのは知っていたが藤島が神戸に来た事
があるのも本展覧会で初めて知った。絶筆も神戸を題材にした『港の朝陽』。小品だが佳作。
大画面の同タイトルの作品もある。「日の出」というモチーフが多いのが面白かった。

お断り

最近、私が理解できない言語でのコメントの投稿が相次いでいます。
全知全能ではなく、無知でしかない私が理解できない、と述べるのは烏滸がましい事ですが、
理解できる言語での投稿をお願い致します。尚、理解できない物については削除させて頂きます。

長富 彩ピアノリサイタル ベートーヴェンからリストへ―古典派からロマン派への転遷

最近はコンサートへ、よく行っている。その中から近況報告。

6月17日

1月の事であったと思うがタワーレコードのホームページで気になるCDの発売が告知されていた。
タイトルは"Aya Nagatomi plays Beethoven"気にしていたら『ぶらあぼ』1月号にリリース記念ピアノ
リサイタルを行うという情報。しかも大阪市にあるザ・シンフォニーホールで行うと云う。これは、と
思ってネットを調べると、2列目の席が空いている。即座に押さえた。

曲目
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)作曲
ピアノ・ソナタ第8番ハ短調「悲愴」Op.13

バガテル「エリーゼのために」イ短調WoO.59

ピアノソナタ第30番ホ長調Op.109

と言う訳で前半はベートーヴェン。CDには、この内、ピアノソナタ2曲が収録されている。
この順番は制作年代順。8番「悲愴」は三大ソナタの一つで演奏機会も多い。ゆえに演奏者の
個性が出やすいが、過去に聴いた感覚では最もスローなテンポで弾かれていたと思う。
テンポで最も近いのはホロヴィッツであるが、フォルテシモが力任せではなくて、ふわっとした感。
エリーゼはバガテルとされてはいるが初級者が本曲を弾けるのを目標にする、
やはり耳馴染んだ曲であるが、さらさらと弾いて最後に粘って、という感であった。
30番は2015年12月以来、1年半ぶりに聴いた。第1楽章で夢幻の世界へ誘われて第2楽章で
突き落とされる。第2楽章で、そうそうこうだった、と思い出す。第3楽章が後期三大ソナタの
お約束であるフーガ。壮大。

コンサートの表題通り後半はリスト。私がチケットを買ってからシンフォニーホールでのコンサート
までに長富さんは神戸新聞の取材を受けられた。そこで「意外に知られていない2人の親交も
伝えたい」と仰っていた。プログラムに、それは載っていた。1820年に両者は直接会っていた。
演奏を殊の外気に入ったベートーヴェンはリストに「君は幸福だ。そして他の人たちを幸福に
するだろう。これほど結構な事はない。」と伝えたと云う。

フランツ・リスト作曲
愛の夢第3番 3つの夜想曲変イ長調
ベートーヴェンの孫弟子でありながらリストは、あまり聴いていない。しかし本曲は生演奏を聴く
機会があった。その時、自作の歌曲の編曲である事を川合亜美さんに教わった。
川合さんは耳馴染みの良い曲として紹介されたが、ところが両手がフルに動いているのが
聴いているだけで分かる。

ハンガリー狂詩曲第2番嬰ハ短調
よく演奏されている曲で、我が家にもCDがあるが、フリスカがとても速く難しくて聴いているだけで
発狂しそう。というのは半分冗談だが途中で変ニ長調が入っている。であるから華やかだが、超絶技巧。

詩的で宗教的な調べより第3番 孤独の中の神の祝福
晩年リストは宗教家であった。であるからか孤独で気難しい印象が拭えず、これが入っていたか
という感であった。しかし本曲に長富さんは浄化されたのだ、と神戸新聞に語っている。
東日本大震災に関東で譜読みの最中に遭ったと言う。停電や余震が相次いだが、
それを「怖がる自分がいやで音楽は無力とも思った。」と仰る。私も阪神・淡路大震災に遭遇したが、
その時の体験に重ねて読んだ。終幕は静寂。観客席から「ブラボー」と声が飛んだ。

いつまで続くのではないか、という静寂が破られた後は盛大な拍手。私も、こんな良い演奏に
出会えるとは、という思いで叩いていた。カーテンコールとなったが、長富さんが何とも
いたずらな笑顔を見せたから、これはアンコールがあるな、と思ったら、やはりじらしで、
椅子に座って「ラフマニノフの鐘を弾きます」

セルゲイ・ラフマニノフ作曲
幻想的小品集Op.3より第2曲 前奏曲嬰ハ短調「鐘」

ロシアものが苦手な私が知る筈は、ない。実は来年1月にザ・シンフォニーホールで再び
長富さんのコンサートが行われる事が発表されたが、そちらはオール・ラフマニノフプログラムである。
言うなれば先取り。その意味では得をした。

ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~1791)作曲
ピアノソナタ第11番K.331第3楽章トルコ行進曲より

今度は何も言わず弾かれた。聴いて、すぐに分かった。しかし編曲されている。誰が編曲した
ものかは分からなかった。ベートーヴェンはモーツァルトを敬愛していた。となると関連性が認められる。

CDを買った時に終演後、楽屋口でサイン会を行う、と聞いた。ゆえに行列に並んでジャケット表
とCD本体に一筆入れて頂いた。わざわざペンを持ち替えた上に「滲むから気を付けて下さい。」
と声をかけて下さった。

梅雨

関西は梅雨入りが発表されたのですが、あまり雨が降らずカラ梅雨です。
ここ数年、この時季は訳あって気候同様に気が重たいのですが、今年は、からっとしているのに気が重いです。

「東日本大震災」

「東日本大震災」の事を考えると言葉を失う。それは第一に自然の脅威に圧倒されたからである。
第二に言葉の表象である。例えば東北地方太平洋沖地震と言えば、M9.0の巨大地震や、
それに伴う津波については表象されるであろう。
しかし、それらが引き起こした「二次災害」について述べられてはいない。
では東日本大震災と言う時、私の感覚では東北が入っていない。確かに首都圏では東京都で
犠牲者が出て、千葉県では液状化現象が起こっているのであるが。
それは絶望と無力を感じさせる事である。言葉を発明した人間は自然の前では無力なのである。
只々無力を感じているだけでは、と思った。何故なら私は阪神・淡路大震災を経験したから。
そこで百聞は一見に如かず、と現地へ赴き、様々な物を見た。
点ではなく線で見た所も多いけれども、2015年に見た野蒜や女川は当時、造成工事中であったし、
その光景は私の震災経験を想起させるものでもあった。
仙台空港で、「ここまで津波が来ました」という線を見た時は衝撃的であった。
3mであったそうであるが、線まで手が届かず、私は確実に溺れる、と思った。
三陸鉄道南リアス線にも乗った。アテンダントの話でも「東日本大震災」の話題は不可避であった。
6年経った。6年も経ったのか、6年しか経っていないのか、人によって違うけれども時間は淡々と
過ぎていく。時間に感情は、ない。であるから時には人を失った苦しみや悲しみに寄り添う、
そういう日にしたいと思った。

しあわせ運べるように

1995(平成7)年1月17日、淡路島を震源とするM7.2の大地震が発生した。
この地震による強い揺れで、神戸市役所や阪急三宮(現在の阪急神戸三宮駅)駅が壊れる被害が発生、
我が家の南東では大火災が発生した。直後の長田区を自転車で通行したが、一面は焼け野原で無力感で
言葉を失った。神戸市役所や阪急三宮駅のようなコンクリート建造物を破壊する大きな揺れに対し、気象庁
は初めて「震度7」を用いた。このような神戸三宮の惨状を目の当たりにして臼井真は衝撃と喪失感を受け、
言葉を綴ったと言う。それが『しあわせ運べるように』。
2016年は本曲と再会する一年であった。2回に渡ってコンサートで演奏を聴く機会があった。
改めて聴き直すと、歌詞は、とても率直である。「亡くなった方々のぶんも、毎日を大切に生きていこう」は
直接的な強いメッセージである。一方で「神戸を元の姿に」は神戸市民の復旧への強い希望を代弁している
かのようである。
私たちは確かに復興を、ある程度は成し遂げられた。しかし根底にある傷は、どうなのであろうか。
「亡くなった方々のぶんも、毎日を大切に生きていこう」は年々、意味が重たくなってきている。
死者6,437名のみならず、語り継ぐ者も年々減ってきている。「届け ぼくたちの歌 しあわせ運べるように」

防災とボランティアの日

1月17日は「防災とボランティアの日」である。それは1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災に因んで
制定された記念日である。神戸という街にとっては記念よりも祈念の方が相応しいかもしれない。
6,434名の魂に祈る日。

用事があって、大きな被害の出た長田区御蔵を通りました。この辺りは火が出て被害を甚大なものとしました。
私は少し北の西代駅界隈を自転車で震災直後に通行しましたが一面が焼け野原であった記憶が鮮明です。
御蔵は震災復興住宅が建てられましたが7割減という深刻な人口減少に見舞われたそうです。
それらの建物が、まだ新しいです。それは逆に言えば被害の大きさを物語っています。

21年経った。僅か21年である気がするけれども、今の小中高校生は体験していない世代。もはや二昔前の話
となった。It's history?(それは単なる歴史?)いや単なるstoryにあらず、歴史という教訓である筈。

1形強羅行登山電車

はじめに
しばらくニュースから遠ざかっている内に箱根山が小規模噴火したと云う。心配な話。
何ができる訳ではないけれども離れた場所から応援の意味も込めて、5年前に箱根へ行った話を書く。

箱根湯本駅は1~3番線と回送列車用の線路で構成される。
ここから、いよいよ登山電車の登場である。3番線に11時18分登山電車が入線した。
先頭は「104」であるから最古参のモハ1形である。
3番線に長い列が出来ており、列が長かったので乗車できるか不安であったが、
私たちよりも列の前に居た一部の客が乗らなかった為、乗り込むことができた。
1形の特徴は車体の長さである。何と14,660㎜、つまり14.66mしかない。
したがって定員も93名と標準軌としては少なめである。
銘板に「昭和25年 汽車會社 東京製作所」とある。汽車会社は日本鉄道の父
と呼ばれる井上勝が鉄道庁長官を退官後設立した会社であり、現在は川崎重工に吸収されている。
製造年が昭和25年であるから様々な仕様変更が行われているが、
原形は1両での運転を見て両運転台であったが、現在は片運転台となり、2両1組での運転となっている。
今日は3両での運転であるからモハ2形109の応援を仰いでいる。
屋根の裏側に姉妹鉄道であるレーティシュ鉄道世界遺産登録を祝う広告が貼られていた。
今回は故あって最後尾の「104」に乗る。3番線は行き止まり式となっている。
11時24分S車掌が乗り込み発車。ポイントを渡り、揺れる。いきなり急な坂に入る。
ここは確か最急勾配区間であったな、と思ったら勾配標識は「80.0」とあった。
80‰。1両の前から後ろまで1m以上ある。
母は「スーツケースが転がって暴れた」と語る。
速度計を見ると20キロ。確かベルニナ号は25キロであったから馬力の差かな、
と思った。出力は1000形が95.0kW4台に対し、モハ1形は78.3kW4台である。
湯本トンネル(24m)に入る。以下、地蔵山(183m)、塔ノ峰(194m)とトンネルが
連続する。速度が、ゆっくりであるから抜けるのに時間を要する。車掌は
乗務員室の窓を全開にしている。旧型の登山電車に乗るのは初めてであるから
知らなかったのであるが冷房がない。客室も窓を開けている。連続トンネルを
抜けると塔ノ沢駅である。相対式ホームであり交換可能な駅である。
対向の湯本行が停まっていた。2000系サン・モリッツ号である。よく見ると
「氷河急行」カラーの2000系であった。1編成しかなく2005F3両である。
2000系箱根湯本行が11時27分に先発する。S車掌が戻らないな、と見て
いたら下車した御客様がS車掌に運賃を支払っていた。塔ノ沢は無人駅
であり切符の集札は車掌が行う。ちなみに徳川家茂に降嫁した和宮最期
の地としても知られる温泉地である。11時28分発車。再びトンネルが連続する。
また80‰の連続勾配である。一般的な粘着式では限界に近いであろうと
言われている。トンネルを抜けると出山の鉄橋の愛称で知られる早川橋梁である。
短い勾配L(レベル・水平)の区間でもあり、今日は観光客多数と言うことで
一旦停止してくれた。高さ43mの場所に架かっているので谷川に吸い込まれ
そうに感じる。鉄橋を渡り終えると、出山トンネル(125m)など複数のトンネル。
抜けると出山信号場である。標高は234m。
ここから三連続スイッチバックが始まる。
1回目のスイッチバック出山信号場である。右手から私たちは登ってきた。
今度は進行方向を改めて左手に登っていく。
1000形ベルニナ号が、やってきた。
原形塗装であるから二年前に強羅行として乗った1004が先頭の1003Fである。
代わってM運転士がやってきた。ブレーキハンドルを取り付け、時刻表を差し込む。
三連続スイッチバックでは出山信号場が停車時間が最も長く11時32分着34分発である。
出発信号が「進行」に変わり発車。ポイントを左に渡る。
かくして一旦、先頭となる。ちなみに運転席は進行方向中央に位置する。
この辺りも80‰の上り
である。又もトンネルの連続。巌山(237m)、常盤山(167m)。相変わらず
20キロ運転である。ここは急カーブでもあるので飛ばせない。
勾配が71.4‰に緩むと、まもなく大平台駅である。大平台駅では三連続
スイッチバックでは唯一客扱いを行う停車場である。下りる客がある。
ここも温泉があるのだそうである。ここで2回目のスイッチバックを行う。
M運転士は携帯用時刻表を差したまま代わった。S車掌がやってきて
室内灯を点けた。この駅では、すれ違いを行わない。相対式ホームの
行き止まり式であるが、向かって右の1番線から強羅行は発着する。
ゆえに同時に強羅行と湯本行が入線することが不可能である。それが
交換を避けようとする理由ではないか。大平台11時40分15秒着42分発。
S車掌は発車合図の笛を吹いたが扉を開閉するスイッチを操作しなかった。
大平台駅では運転士が乗降扉を閉めるのである。したがって再び「104」が最後尾となり、
山を登るが勾配は66.0‰と資料にある。大平台駅から500mで上大平台信号場である。
11時43分45秒到着。
旧型の登山電車がやってきた。「110」とあるからモハ2形である。
私の乗るモハ1形がオールロングシートであるのに対し、クロスシートがある、
現在も両運転台である、モーター1台の出力が95.0kWであるなど相違点
があるが外観から違いを見抜くのは難しい。対向の箱根湯本行である。
この上大平台信号場で3回目のスイッチバックを行う。
進路は出山信号場の時と同じく、右から来て、左へ向かう。
信号場では前述した通り乗降ができないが、駅名標が設けられている。
上大平台信号場は標高が359mであることが書かれている。手元の資料には
358.5mとあるので四捨五入したのであろう。
出発信号は「進行」となった。再びM運転士がやってきて11時45分発車。
「次は宮ノ下」と自動放送が流れるが途中に仙人台信号場がある。
再び80‰の上り勾配であるから20キロで力走する。大平台トンネル(302m)
を抜けると仙人台信号場である。この停車場は列車の行き違いの為に設けられた。
しかし出発信号は「進行」であり、一旦停まるものの発車合図が、すぐに
車掌からあり、11時48分発車。標高は410mである。ここから宮ノ下まで
勾配は55‰であるが如何せん超急カーブである。Rが100m以下ならば
急カーブであると思うが、先程までR80mであった鉄道の話であり、さらに
急になる。仙人台(信)を出て、いきなり「30」というキロポストが立っている。
もの凄いレールと車輪の軋む音である。
長崎源之助氏は「二りょうれんけつの でんしゃが、「く」の字に おれまがるくらい きゅうな カーブを
まが」(『とざんでんしゃとモンシロチョウ』) ると表現された。
母は「最後尾の車両が見えたよ」と語る。速度は15キロ。
自動放送では「左から駒ヶ岳、神山」と観光案内をしている。
よく見ると線路の両側に紫陽花が咲いている。神戸などは平野部ゆえ紫陽花は
立秋を過ぎれば完全に時季外れである。さすがに一部は枯れてはいるが
まだ頑張っている。二年前に訪れた時は6月であったから紫陽花に出会っても
違和感は感じなかったが、ここは標高が高いが故の事であろう。母曰く
「紫陽花は出山信号場から咲いていたよ。」ちなみに、またしてもガク
アジサイは見落とした。母は「たくさん咲いていたよ。」と言うが。
R30の次はR45。25キロまで加速。何れにしても急カーブであり、運転士が
スイッチを操作し、線路に水を撒く。箱根登山鉄道のHPにはレールの
磨耗を防ぐ為に散水する、とある。何故、油ではないのかと言えば急勾配上に
ある為、車輪が滑って危険である為、とある。もう一回R45のあと再び
R30が現れる。運転士はマスコンをノッチオフ、一瞬ニュートラルとなり、
15キロまで落ちる。甲高い音が響く。宮ノ下駅に到着。対向列車が待っている。
今度はRhbカラーの1000形である。1000形は2編成しかないので1001Fである。
11時52分発車。最後の80‰区間に挑む。自動放送では外国人観光地としても
著名だと言う宮ノ下温泉を紹介していた。今日は宮ノ下で泊まる予定である。
小涌谷(こわきだに)に停車。座席に座る男児が飽きたように「まだー」
と愚図る。「あと2駅だよ。」と私は声をかける。対向列車が急カーブを
曲がってやってきた。1形2両編成である。私たちの乗る104-106ペアに
対し、103-107ペアである。旧型登山電車は7両しかない。11時58分発車。
急カーブを曲がり終えると勾配も33‰と数段緩んでおり、35キロを出す。
風も入ってきて、随分速く感じる。「冷房がなかったから逆に標高が高く
なるにつれて、涼しくなるのが感じられたよ。」とは母の弁。彫刻の森駅
1番線に到着。相対式ホームであるが2番線は、あまり使われない。
M運転士は乗務員室の窓から手を出して行先表示のサボ板を、ひっくり
返した。現在、登山電車は箱根湯本~強羅を往復するのみであるから、
表が「強羅」、裏が「箱根湯本」となっているのである。12時1分発車。
ここから正真正銘のラストスパート。登山電車には珍しいレベルの区間が
長く、35キロで快走、遂に12時4分終点強羅(ごうら)駅1番線に到着。

福岡市営地下鉄

7月18日(土)
宿へ荷物を預けに行ったが思ったより遠くて手間取った。さらに博多郵便局に寄らねばならなくて
福岡市営地下鉄博多駅に着いた時は12時半を過ぎていた。急いで目的地へ向かわねばならない。
今日は土曜日でエコちかきっぷの発売日である。土休日限定の一日乗車券で大人520円。
12時42分発の姪浜行が入ってきた。地下鉄の車両である事は予想できたが、乗りたくない1000系。
別稿で書いたが、この車両は遮光カーテンでシャットアウトされる。
http://ohmae.at.webry.info/201505/article_4.html
であるから乗りたくはないが急ぎの用なので、やむをえない。座席が空いていたので座る。
乗る瞬間に乗務員室の扉を一瞥したが、名札が、「この電車の乗務員は姪浜乗務所 S」と名字
だけに変わっている。
「座席が空いていたので座る。」と書いたが、空港線博多~天神で座るのは至難の業である。
福岡市の中心部であるから混雑が半端ではない。発車。「45」で発車して、「75」で加速して、
「65」に変わるのを音で知る。車内信号がチーンと音を出すから。祇園に到着。博多区役所前と
案内しているが誰も下りない。発車して「55」に変わり12時45分中洲川端駅4番線に到着。
私が乗り換える為に下りる。12時46分に発車するのを見届けてホーム中央の階段を上がる。
3・4番線を空港線と呼ぶが、これから箱崎線に乗る。こちらも空港線と同じ電車で運転される。
1番線に箱崎線 貝塚行が入ってきた。同じく1000系なので最後尾に乗る。
12時48分発車。中洲川端は起点駅なのでポイントが、ごちゃごちゃしている。であるから55キロ
しか出ない内に、12時49分呉服町に到着。

(7/8)ウェブリブログ携帯版ログイン機能の9/2終了について

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残念な話。携帯電話からブログを更新できなくなると言うのである。閲覧は、これまで通りできるとは言えども、
ネットの世界で更新ができないのは非常に厳しい。

福岡市営地下鉄 空港線 姪浜行

2014年04月26日
山陽新幹線博多駅の駅員さんの案内が的確で乗換標準所要時間が10分のところ約5分で
福岡市営地下鉄博多駅へ到着した。
今日は「神戸市内→伊万里」という乗車券で福岡市営地下鉄に乗る。
自動改札機に通したが、検印も押さず、穴も開けず通過した。
JR九州の103系が入ってきた。10時26分発の西唐津行快速1685C列車。
福岡市営地下鉄なのに何故JRの車両なのか、と言えばJR筑肥線と相互直通運転を行っているからである。
その為、線路幅も1,067㎜とJR在来線規格に合わせてある。しかし、トンネルの天井に張られている
架線を流れる電気は直流1500Vである。ゆえに1982年、103系1500番台が新製された。
福岡市営地下鉄では6両で運転される。また市営地下鉄では大半の列車がワンマン運転であるが、
この車両だけはワンマンで運転できない。
対向の福岡空港行に福岡市営地下鉄2000系が入った。
見送ったあと、JR九州の運転士さんがやってきた。
次の列車は筑前前原(ちくぜんまえばる)行各駅停車461C。姪浜からJR筑肥線に入る。
ゆえに姪浜から、この運転士さんがハンドルを握るのであろう。
博多の隣、竹下駅に博多運転区がある。この部署の運転士が運転する列車が筑肥線にある。
後続の筑前前原行は地下鉄の1000系であった。地下鉄が来たのは計算通りであったが見送る。
JRの運転士さんは、客室に便乗する。10時36分発車。
続いて姪浜行が入線する。予想通り、福岡市営地下鉄2000系が来た。
私は2000系が来るのを待っていた。福岡市営地下鉄空港線は姪浜の手前まで地下ゆえトンネルが、
ずっと続く。であるから当然かもしれないが客室の光が運転席に差し込まないように遮光カーテンを用いる。
したがって、前面展望を行えないのであるが、2000系は乗務員室右端の窓に遮光シールが貼られている。
しかし前面展望を行うならば十分である。
博多駅は非常に、たくさんのお客様が乗られる。10時43分になった。
運転士がスイッチを操作して扉とホームドアを閉めると、出発押しボタンを押す。電車は滑らかに加速を始める。
このシステムを自動列車運転装置(ATO)と呼ぶ。福岡市営地下鉄は全線に、ATOを施行している。
但し、先行列車の103系は車両が対応しておらず、自動運転を行えない。今回は2503、平成4年生まれ。
日立製作所のGTOサイリスタをスイッチング素子に採用した世代の車両である。
車内信号が「45」と表示されている。それと言うのは線路が右に曲がっているからである。
開削工法に因る四角いトンネル。線路が曲線を立ち上がると「75」に変わる。加速して65キロといったところ。
駅が見えてくると「65」に変わり、祇園駅に到着。祇園からはトンネルが丸くなる。
シールド工法と言って掘削機でトンネルを掘っている。単線シールドトンネル。これを並立させている。
60キロでATOがブレーキをかける。駅が近づくと「55」に変わり、10時46分中洲川端駅4番線に到着。
一見すると単なる島式ホームの駅に見えるが、
実は二層式の駅である。4番線は下の階であり、上の階に1・2番線があり、箱崎線が発着する。
10時47分発車。この先で箱崎線と合流する。この電車の後続列車も箱崎線貝塚始発である。
制限速度が「45」に変わって天神駅に到着。
福岡市中央区にあり、西日本鉄道天神大牟田線と乗り換えられる。
また、もう一つの市営地下鉄である七熊線も、当駅乗り換えである。10時49分発車。
右へ右へと急カーブが続く。「45」と標識も立っている。赤坂に到着。
大濠公園を過ぎ、唐人町。ここのYahoo BBスタジアムへは一度行ってみたいと
思っているが、今回も下車しない。次は西新(にしじん)。島式ホームの駅であるが、
引き上げ線が設けられており、昼間の箱崎線直通列車は当駅で折り返す。
と言う訳で、この電車の後続列車も当駅で折り返す。同乗されていた助役さんであろうか
乗務員室から出られて客室に便乗された。10時57分発車。引き上げ線の姿を今回は確認できず。
「75」も出るが、速度計は65キロしか指さない。
▼西新→藤崎までの前面展望。筑前前原行き(583C)

藤崎は早良区役所前という案内が自動放送で流れる。ホームの配置が相対式に変わる。
制限速度は「65」に変わる。シールド工法であろうか、丸くて開けたトンネルが
左へ展開する。室見に到着。この室見〜天神間が福岡市営地下鉄の開業当初の区間。
これが両方向へ延伸して、現在の空港・箱崎線ができた。
▼〜姪浜

室見から線路は左へ曲がる。直線に変わって「75」、四角いトンネルの先に地上の光が見えた。
第3閉塞信号で「65」に変わる。JR九州の303系と、すれ違う。
第2で「55」、第1で「45」と変わり、ポイントを右に渡る。この列車は姪浜で折り返す。
11時4分、姪浜駅2番線に到着。

黒岩祐治神奈川県知事が箱根視察

箱根が厳しい状況に置かれている。昨日は神戸空港に居て、B737形ジェット機の音を聞いたが、
初めて音を聞いた時はB737のように座席数が144席(700形)の飛行機であっても、凄い轟音だと感じた。
映像では水蒸気が高く噴出する様が報道されているが、実際にその場に居ないと感じられない事もあろう。
とにかく収まって、と祈るしかない。自然現象ゆえ。
http://news.infoseek.co.jp/article/150516jijiX121/
【記事内容】
黒岩知事が箱根視察=「ジェット機のようなごう音」
2015年5月16日17時58分
黒岩祐治神奈川県知事は16日、火山活動の状況や観光への影響を確認するため、
噴火警戒レベルが2に引き上げられた箱根山を視察した。
 午前9時すぎ、立ち入り規制された大涌谷を約900メートル離れた場所から視察。小雨で視界が悪く、蒸気の
上がる様子は確認できなかったが、「ジェット機が真上を飛んでいるようなごう音だった」と語った。その後、
芦ノ湖畔や箱根湯本の商店街を山口昇士箱根町長らと回った。
 視察後に記者会見した黒岩知事は「お客さんの数はまずまず」と評価。ただ、ツツジが見頃を迎えるこの時期
は例年予約でいっぱいなのに、一部宿泊施設では15%ほどキャンセルが出ていると報告を受けたといい、
「正しい情報を的確に伝え、あらゆる知恵を結集して立ち向かっていきたい」と話した。
 会見で知事は、テレビや新聞広告による大規模な集客キャンペーンの実施や、箱根を応援する旅行商品を
販売する計画を表明した。 
[時事通信社]

エァ・ドゥ機の離着陸を見る

2013年にエァ・ドゥ(ADO)が神戸空港に就航した事に触れた。しかしながら実際に離着陸している所を
見た訳ではなかったから今日は神戸空港へ行って見てきた。
今日も航空ダイヤは遅れていた。構造的な問題については前述したから繰り返さないが、スカイマーク
(SKY)の羽田発103便が手元の時計で10時23分に着陸、28分に到着した。当初予定時刻から13分遅れ。
この飛行機が再び羽田空港へ折り返すが、到着遅れの為、出発が10時50分から11時の予定へ繰り下がる。
実際は10時58分に出発。しかし、ADO機と輻輳して、滑走路への進入を管制が認めず。どうするのかと
見ていたら、ADO機を東側から着陸させた。こうすると、西へ飛び立つSKY機と、ぶつからない。
ADO機は11時4分着陸、11時8分到着である。予定より13分遅れ。
エァ・ドゥは北海道札幌市に本社がある航空会社である。
メインは22便が設定されている羽田~新千歳であろう。特徴は北海道各地への路線設定。例えば旭川・帯広・
女満別(めまんべつ)、釧路、函館、こうした空港から羽田へ向かう路線が設定されている。
新千歳の他の便は、と見てみると仙台と岡山があるが関西地方は神戸空港のみである。

ANAとはコードシェアを行っているが、やはり別会社である。機体を見て、受ける印象が異なる。
見送りの係員を見ているとクマのぬいぐるみを抱いている。一方、主翼にもクマ。時刻表にもある。
何かとHPを調べていると、エァ・ドゥのオリジナルキャラクター、ベア・ドゥと言うのだそうである。
http://www.airdo.jp/
折り返しの新千歳空港行は変更した11時半になっても乗客の搭乗が終わらず、11時36分に、ようやく出発。
今度は11時42分にSKY機が着陸して輻輳。滑走路の端まで行かず、折れ曲がって、着陸ゲートへ来た。
ADO機は、11時47分ようやく西へ離陸した。

箱根山大涌谷立ち入り禁止

本blogで2008年と2010年に箱根に行った話を書いた。そこでは触れていないが、2010年の時は強羅から
早雲山まで箱根登山ケーブルカーに乗って登った。その先、桃源郷へ向かうロープウェイがあるが、
これが6日から全線で運休となった。大涌谷が立ち入り禁止となったからである。
【記事引用】
■箱根・大涌谷立ち入り禁止 町長「観光にとって厳しい」
(朝日新聞デジタル - 05月06日 16:05)
箱根山(神奈川県)の噴火警戒レベルが2(火口周辺規制)に引き上げられたのを受け、
箱根町は6日、大涌谷につながる県道734号の約1キロを通行止めにし、谷周辺の遊歩道もすべて閉鎖した。
 箱根ロープウェイは全線が運休になり、大涌谷は立ち入り禁止になった。山口昇士町長は
「観光にとって厳しい火山活動。大涌谷周辺に限られた噴火警報です」と述べた。
 町は6日午前6時10分、大涌谷から神山北側にかけての想定火口域への避難指示を防災無線で伝えた。
火口域は半径約300メートルの円に近いエリアで、住宅や宿泊施設はないという。
 午前6時半からは通行止めと遊歩道封鎖を始めた。通行止めは県道734号の
大涌谷三叉路から大涌谷に至る区間。封鎖された遊歩道は、姥子~大涌谷間などの自然探勝歩道だ。
大涌谷の観光施設やおみやげ店もすべて閉鎖された。
 町は箱根ロープウェイの早雲山―姥子の運休を要請したが、運行する会社は全線を運休にした。
箱根登山ケーブルカーで早雲山駅まで来た観光客らは6日、バスで芦ノ湖北部の
湖尻などへ移動していた。
 神奈川県温泉地学研究所によると、箱根地域を震源とする有感地震が5日に6回あった。
このうち大涌谷と二ノ平で各1回、震度3相当の揺れを観測した。5日の無感を含む地震は
計196回に上ったという。
 箱根では2001年6~10月、無感を含め計約4千回の群発地震を記録した。研究所の
担当者は「今回の地震活動は2001年に近く、それを超えつつある」と話した。箱根では
12~13世紀に小規模な水蒸気噴火があったが、その後は噴火の記録がないという。
水蒸気噴火の発生時には、火口から最長で半径700メートルの範囲に噴石が飛ぶことが
想定されている。

2010年の時、宮ノ下にある底倉温泉で泊まったが、箱根はマグマが活動していて、
源泉が60℃もあると教えられた。つまり箱根は火山であるのである。
マグマの活動と温泉と言うのは表裏一体の関係であり、温泉を運営していくのにマグマの
活動は必要なのである。しかしながら、このように人が制御できないレベルになるのは
望ましくはないけれども自然現象なので如何ともし難いかと思われた。
安全の為に立ち入りを禁ずるのもやむをえない。
箱根町は広大なエリアであって、箱根湯本や宮ノ下や強羅も含まれるが今のところ、
これらは自由に立ち入りが出来るエリアである。宮ノ下温泉が閑散としているという報道を耳にすると痛い。
と言うのは風評被害と言えるからである。
今は只、火山活動が沈静化するのを祈るばかりである。

20年

昼頃に出先から帰ってくる時に雨と強い風に遭った。あの日は4.6m/sの風が吹き、気温は3.4℃
であったと言う。でも、体感的に、それより今日は風が強いと感じた。寒いのは同じであるが。

あの日とは1995(平成7)年1月17日(火)である。その日から20年経った。
今年、神戸新聞は、あの日に生まれた人を取材している。皆、今日ハタチを迎えている。
それは何を意味するのか。記憶ではなくなり記録となってきている事を意味する。
これを換言すれば、あの日を記憶する当事者、体験者が一定の年齢に達し、20歳よりも若い
人たちは、未体験の話なのだ、と言う事である。
あの日に起こったのはM7.2という巨大地震である。地震は日本のどこにでも起こりうる
自然現象であって特に、あの日の地震が特筆されるのは人口150万人の神戸が壊滅的な
打撃を被り、阪急三宮駅のようなコンクリート建造物をも破壊する震度7という揺れが観測された事である。
であるから大規模な自然災害となり、これを後に阪神・淡路大震災と呼ぶ事となったのである。

字を幾つ書き連ねても今や記録でしかない。英語でIt's history!と言われるものである。
しかしながら私たちはhistoryという名の下、忘れても良いのであろうか。
確かに6434名の犠牲者が出て、その遺族の喪失感は計り知れず、その悲しみは癒されるべきである。
しかしながら、それを食い止める為に為すべき事が、ある。それが記憶の継承である。
何故、継承すべきかと述べれば、災害を減らす為には実体験をつないでいく事が
求められると考えるからである。そこには教訓も含めれていよう。それを風化させ忘却する事は
historyの大事な意味である歴史に何も学ばない事を意味するのである。

謹賀新年

謹んで新年の御挨拶を申し上げます。昨年は、そう書いておきながら頻繁に更新できたとは言えず
申し訳ありませんでした。丸10年このblogを、やってきておりますが山あり谷ありの10年間でして、
良いことも思わしくない事もありました。そんな時に背中を押して下さった方に感謝して元旦の挨拶と
させて頂きます。

北斗星6号上野行②

1998(平成10)年3月30日
ぐるりぐるり回っている感じで、トンネルの連発になると青函トンネルは近い。
入ったのは0時35分。実は、往路復路とも青函トンネルを通ったが感じ方も全く違う。
吉岡海底駅、竜飛海底駅と通過し約40分で抜ける。40分と言えば長い様であるが、
全長が53.85kmもあるトンネルの事である。1時15分に出る。この後、寝てしまった。

気が付くと進行方向が逆になっていた。「しまった・・・」
何も進行方向が逆になったことに驚いている訳ではない。青森で再び進行方向を変え、
元の向きで走っているだけのことであるから。しかし、それよりも青森で機関車交代が見られなかったことが
悔やまれる。機関車はEF81に変わっていた。気を取り直して寝直し。
次に起きたのは「おはよう放送」の前であった。「皆さんおはようございます。『北斗星6号』は時間通り運転して
おります。次は仙台、仙台、新幹線はお乗り換えです。・・・」その後、新幹線の東京到着が、この列車
より早いことに気づく。やはり新幹線は速い。
朝食は予約不要である。洋定食を食べる。
ゆっくり東北本線を眺めるのもいい。とはいえ特急で最高時速110kmである。
新幹線を遠くに望む。走っている姿は見られなかった。
最後の停車駅大宮に停まり、荒川を渡れば上野はすぐだ。右手に鶯谷の駅を眺めながら
さながらあなぐらへもぐれば上野駅へ到着である。

北斗星1号―寝台特急ブルートレイン
扶桑社
いのうえ よしお

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北斗星6号上野行①

はじめに
再来年、北海道新幹線が開通するから、と試運転が始まり、ブルートレインも「トワイライト・エクスプレス」や
「北斗星」が廃止となる事が決まった。「北斗星」の場合は臨時列車への格下げであり、臨時列車としての運転を
検討する、とは言われているが北国ゆえ客車の傷みも激しく、いつまでの話かは判然とせず廃止なのだ、という
声が多い。つまらない前置きを書いたのは、これまたささやかな思い出話に読者を誘う為。お付き合い下さい。

1998(平成10)年3月29日
19時過ぎに道東から「オホーツク」で札幌に到着。これから念願の「北斗星」に乗る。私は『北斗星1号』(扶桑社)
を読んでから「北斗星」に惹かれた。当時は3往復体制で1・2号がJR北海道、3~6号がJR東日本の客車で
運転されていた。JR東日本の上野行を希望して、6号に乗ることにした。
いよいよ入線。DD51を先頭に小樽方から入ってきた。編成はDD51の重連に上野方から1号車、2号車の順で
一番後ろの客車が10号車、さらにその後ろに電源車が連結されている。今日は3号車開放形客車二段式B寝台。
DD51は重連であるが一人の運転士が運転する。これを総括制御と呼ぶ。
19時24分発車。最初の停車駅は南千歳である。公衆電話が備え付けてあり、家に電話をかける。
何せ中3と小6の二人旅であったから。
6号車は食堂車となっている。予約制であり、夕食を予約すればフランス料理か和食のコースが食べられる。
夜遅くはパブタイムと言って、予約なしでも食べられる。
食堂の名前をグラン・シャリオと言う。フランス語で大熊座を意味する。
最近、食堂車も減ってきた。パブタイムになったので食堂へ行く。ハンバーグを食べる。2000円也。
7号車はロビーカーである。JR東日本の客車は広くロビーを取っているのが特徴。その為、JR東日本に拘った
のであるが紫煙に閉口。長万部から函館まで停まらない。ここで寝る。
函館の少し前に起きる。1号車へ行くとDD51が眼前。DD51の重連は迫力がある。全長18m、重さ84tの大きな
ディーゼル機関車が2台連なっているのであるから。それを動かす為にエンジンも1100PSの出力のものが
前後2台搭載されている。数字を眺めるだけではなくて、是非間近で見て頂きたいと思う。
23時37分函館駅8番線に到着。左側の扉が開き、駆け出す。機関車交代が行われるのである。
DD51の重連が離れ、逆側のED79形14号機が連結される。ED79は青函トンネル専用の交流形電気機関車。
昭和61年にED75を改造して生まれた形式であり、保安装置の改造が行われている。
具体的には第一に新中小国信号場~木古内間に施工されているATC-Lへの対応である。青函トンネルを
挟むこの区間には青・黄・赤の地上信号はなく、速度計の周囲に制限速度が表示される車内信号を用いて
運転される。自動列車制御装置と言って、新幹線にも類似のシステムが使われているが、そもそも青函トンネル
は新幹線を通すことを想定して建設されている。
第二は青函トンネルは前半が連続下り勾配、後半が連続上り勾配なのであるが、それが長く続く為、ブレーキの
強化が行われた。第三は運行には支障ないとは言えども塩水が今でも出ている青函トンネルの塩害と湿度への
対策である。これらをクリアして、この機関車は生まれた。
函館を発車。青函トンネルに入る前に日付が変わる。

第66回正倉院展

今年も正倉院展へ行って参りました。今年度は、 今上天皇(1933年12月生まれ)
と皇后(1934年生まれ)が揃って傘寿を迎えた事を寿ぐ、として会期を3日
伸ばして20日としています。
今回は鳥毛立女屏風が主役でしたが、残念ながら6扇の内
第2・4・5・6扇の4扇しか出陳されませんでした。
しかも残りが東京に出たと言いますから、
残念な気持ちが、より強まりました。出陳された中では6扇が状態が良いと
見ましたが残念ながら染みが出ていました。長年、保存してきましたので、
やむをえないのでしょう。
今回も琵琶が出ました。今回は桑木阮かんという4絃の琵琶で裏面に
「東大寺」と銘が入っていまして、東大寺の法要で用いられたと
推定されているようです。
武具も多数、展示されました。恵美押勝の乱で多数が失われた事は知られて
いますが、残ったものは明らかに状態が良いです。
戸籍など古文書が多数残っている事も知られています。しかも紙の史料は、
これが全てとも言われます。

おくのほそ道の旅

はじめに

この夏は「おくのほそ道の旅」と題し、3泊4日の旅に出ました。
そもそも松尾芭蕉が著した『おくのほそ道』は私にとっては時には旅行記の
規範、時には憧れの存在でありました。何と言っても冒頭でしょう。

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。

そもそも人生は旅なのである、という芭蕉の見解は大いに私も首肯するところです。
旅行記の規範であると申しましたのは、『おくのほそ道』の文章は無駄がなく、
簡潔明瞭の一言に尽きる事です。
率直に申しまして、私はあれもこれも書きたくて詰め込んでしまう傾向にあります。
ところが松尾芭蕉は俳人でした。俳句は五・七・五の十七字で表現する文学です。
少ない文字数に全てを詰める事は実際問題厳しいです。
ゆえに松尾芭蕉の文学は「削除の芸術」なのです。

そもそも『おくのほそ道』という書名ですが、本書の序盤である草加の段で
「奥羽長途の行脚」という表現が出てきますし、
この旅の目的地が東北地方である事から「奥の細道」というタイトルにして
いるケースも見られます。また本書中「壺の碑」の段で「おくの細道」という表現が出てきます。
しかし、『おくのほそ道』は越後から北陸を経由して大垣で結びを迎えます。
私も越後から北陸を経由して関西へ帰るルートを計画し、実行しました。
そこで原題通り平仮名の「おくのほそ道」を使わせて頂くことにしました。

この旅には私にとっては、もう一つ大きな目的がありました。
東日本大震災被災地の現状視察です。私は、このblogで何度も書いている通り
阪神・淡路大震災を体験しています。ゆえに報道に接するだけではなく自分の
目で見なければ、という思いを持っていました。百聞は一見に如かず、とは
よく言ったものです。単に見ただけですが、見ないと分からない事はあるものです。
報道は紙幅や時間の制約、あるいは報道者の主観によって、編集されます。
それは言い換えれば画面を切り取る事でもあるのです。

切り取る事を思いがけず肯定的にも批判的にも書きました。こんな纏まらない
序文を書いていたら松尾芭蕉翁には笑われる事でしょう。

神戸空港8周年

去る16日、神戸空港が8周年を迎えた。
紆余曲折の多い道のりであった。開港までが一悶着。何せ地震もあった。
また開港してからも航空会社が来たり去ったりで忙しい。
現在はANAとSKYを軸に、ANAと窓口を共有するSNAとADOが去年、参入するという流れである。
両者は関西初就航である。関空でも伊丹でもなく、神戸を選んだのである。
神戸を選ぶメリットは海上空港であるゆえに、騒音という障害を考慮せず、深夜に離着陸させる事ができる事。
さらに神戸市役所がある三宮へポートライナーで18分で出られる事である。三宮へ出るとJRなら22分、阪急なら
27分、阪神なら31分で大阪に着く。ゆえに神戸市営空港でありながらANAは大阪の空港と見做している。
しかしながら関空にピーチなどLCCが就航するなどあって先行きは明るくない。さらに航空貨物の取り扱いは、
ANAが止めることで、なくなりそうである。そんなこんな事があって、ポートライナーも全体の輸送量は増えているのに
神戸空港駅のみ利用者が減っている。残念な傾向である。
しかし何度も書いているように潜在能力の高い空港であるので、まずは便数の上限撤廃から求めていきたい。
それに八という数字は末広がりと言う。未来が広がるように、願望も込めて。

19年

阪神・淡路大震災が発生してから19年が経った。19年は、あまりに長い。何故なら当時小学生であった私が31になり、
物心がついていない世代が成人してしまったから。高校生に至っては全て「震災を知らない子どもたち」である。
経過時間が長くなったから当事者が少なくなった。そして風化は始まっている。では忘れてはいけないのであろうか。
震災を体験した者として言える事。今年は積極的に震災特番を観なかった。私の経験など、被災としては軽微である。
もっと甚大な被害に遭われた方も、いらっしゃる。それでも積極的に観られなかったのは、心の奥にトラウマのように
棲みつくモノがあるに違いない。
このblogは震災をテーマとした10本目の投稿。体験談みたいなものは筆舌を尽くしたつもりであるから過去の記事を
御覧頂きたいと思うが、気がついた事など幾つか書き留めておきたい。
先日の職場での雑談。1月17日が「防災とボランティアの日」とされている事が話題に。実際、多数のボランティア
の方が神戸に来て下さった。「では3月11日は?」とセンター長が御下問。特記は為されていなかった。
そして今朝の朝礼。センター長が最年少の社員を指名して「今日は何の日か」と問われた。27歳になったばかりの
道産子である彼には難問であったか。

淡路島で高校の先生をやっている方の話が報道された。震災で親族が家屋に下敷きになり助けられなかった事を
悔いている、と言う。学校では防災の授業を受け持つ。昨年4月13日淡路島を震源とするM6.3の地震が発生した。
幸い死者は出さなかったものの最大震度は6弱を淡路市で記録した。これは私自身は5時33分という時間帯から
兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災の原因となったM7.2の巨大地震である。)を想起させるものであった。
しかしながら、皆が比較的冷静に行動した。「それは先生の授業のおかげや。」と教え子は言っていると云う。

この時期になると二つの歌が気になる。一つは「幸せ運べるように」、今一つは神戸ミーティング。
今や「幸せ運べるように」は東北でも換え歌で歌われている、と云う。
後者はルミナリエに平松さんが来て下さったから。平松さんの御実家は須磨区にあって全壊してしまった。

取り留めのない話を、そこはかとなく書き綴ってみた。力のなさ故。



防災の決め手「災害エスノグラフィー」—阪神・淡路大震災秘められた証言
日本放送出版協会
林 春男

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謹賀新年

謹んで、このブログをお読み下さっている皆々様へ、新年のご挨拶を申し上げます。
2013年は、このブログの更新が滞り、定期的にお読み頂いている方には申し訳ない一年となりました。
弁明を一言もうしますと2012年5月に就職を致しまして、ブログの更新もままならない事になった事です。
ウェブリブログも、このブログも10年を迎えます。惰性に流されてはならない、等と述べている事は、それを意識している事。
万物の流転は不可避なれども、小さくとも流されない物差が欲しい此の頃です。

昨年の明るい話題の一つに富士山の世界文化遺産登録がありました。そして縁起の良い初夢に「一富士二鷹
三ナスビ」と申します。そこで、このブログも富士山で飾ろうと思います。古くは富岳三十六景(葛飾北斎)、近代は
富岳百景(太宰治)と申します。ランダムで選ばれたテンプレートです。どのような富士山が現れるのでしょうか。



年賀状デコ★組みあわせシール/謹賀新年(富士山)/BM030-58
学研

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ルミナリエ

今年もルミナリエが始まりました。先日、点灯の瞬間に運良く立ち会う事ができたのですが、ルミナリエを見る事
自体は何回目か、なのですが感嘆してしまいました。
ルミナリエは1995(平成7)年12月に始まりました。このblogでは何回も書いていますが、この年の1月に阪神・淡路
大震災がありまして、神戸は壊滅的な被害を受けました。震災では6,000名あまりの尊い命が失われました(震災
関連死を含む)。その尊い命を鎮魂する事から始まったのがルミナリエという営みなのです。
今では阪神・淡路大震災について風化が進み、ルミナリエも規模を縮小し、近年は12月中旬までの短い会期に
短縮されてしまいました。それでも催す事に意義はあると思うのです。日本に地震がある限り、震災を風化させる
必要は、ないのですから。



SNAとADOが神戸空港に就航

土曜に神戸空港に行ったので、久々に神戸空港を話題にする。
それと言うのも、新しい航空会社が神戸空港に就航したのである。
6月1日に九州を拠点とするソラシド エア(SNA)が就航し、神戸~那覇間1日3往復の運行を始めた。
同月21日には北海道を拠点とするエア・ドゥ(ADO)が就航し、神戸~千歳間1日2往復の運行を始めた。
両社とも関西へは初就航である。規模の大きな関空でも伊丹でもなく神戸を選んだ。
またB737という乗客約150名の機種が来る。
ADOは北海道で時刻表を見た覚えがある。以前、巷説で運賃が安いのだと伝え聞いた。まさか神戸に来るとは
思わなかった。神戸には10時台と夕方に飛来する。折り返し運行である。
ソラシド エアは語呂が良い会社名だと思う。音楽で使う階名にも通じる。英語表記はSolaseed Airで、空から笑顔の
種を蒔く、という意味が込められていると言う。
神戸は8時20分に出発し、13時台と16時台に飛来して折り返し、21時15分到着の便で夜を明かす。
せっかく新しい会社が就航したから見に行かなくては、と思って出かけた。SNA26便が16時5分の到着予定で、
都合が良い時間帯であったので見に行った。航空ダイヤは乱れていた。羽田発神戸経由長崎行のSKY407便が
定刻ならば15時55分出発の予定が何らかの理由で16時5分出発に変更されていた。神戸で乗る人も居り、
その場合は同145便となる。逆方向の長崎発羽田行の同446便も駐機されており忙しい。
乱れる原因の一つは関空と船で30分の距離にあり、空が混雑している事である。しかし関空は交通至便とは言えず、
それが今回の新会社就航の選択となったのではないか。
少々遅れて、SNA26便が着陸。「Solaseed Air」が横書きに大書され、黄緑色の翼は否応にも目立つ。
新会社就航は、めでたいニュースである。しかし単純には喜べぬ事情がある。便数が増えた訳ではないからである。
そもそも神戸空港は一日30便という上限が定められている。さらに2社は地上スタッフを置かず、コードシェアをも
行っているANAに業務を委託している。これにより、那覇便についてはANAは自社の機材で運行する便を取りやめた。
ANAの時刻表を見て驚いたが、那覇よりも千歳の方が近いのである。千歳が666マイル、那覇が739マイルである。
このように難しい事情を抱えている空港ではあるが空路の交差点に位置し、人工島ゆえに深夜まで営業できるのみ
ならず、市街地からも近い魅力の多い空港だけに可能性は大きく、ADOとSNAの2社がSKYのように定着して頂く
事を期待する。