新進演奏家によるオール・ベートーヴェンプログラム
2021年03月06日 13:00開演
会場:あいおいニッセイ同和損保ザ・フェニックスホール
去年はベートーヴェン生誕250年で多数のコンサートが企画された。本公演も同じ動機で昨年5月3日にやる予定であった。
しかし新型コロナウイルスが世界中に流行して次々と流れた。
本公演の話、実は一年前の去年3月に出演者の藤本さんから聞いた。しかし正直、このご時世なので公演中止を覚悟していた。ところが、
そうではなく公演延期になった、と11月に聞いた。日程も空いていたし、好きな作曲家。是非もない。
ザ・フェニックスホールは4回目。何故か4回ともベートーヴェンを聴いている。
室内楽向けのホールであるが客席と舞台が近い。御堂筋に面してスタインウェイを持つホールがあるのか、と最初来た時は驚いた。
今日はベートーヴェンの室内楽を網羅する7組によるジョイントコンサート。
作曲:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)
ゲーテによる3つの歌曲Op.83より
悲しみの喜び
あこがれ
作詞ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
Sop:中部真美
Pf:山本裕美子
文豪ゲーテはドイツを代表する知識人でありベートーヴェンもまたゲーテに憧れた。
例えば劇付随音楽「エグモント」は元々ゲーテの戯曲であり、序曲は著明。
しかしソプラノとピアノによる歌曲があるとは知らなかった。1810年作曲。
悲しみの喜びは短い作品で聴き易い。あこがれは一転して短調。「彼女に憧れて飛び回る主人公を描写する旋律」なのだそうであるが
有節歌曲と云う形で繰り返される。
意外とピアノが鍵を握っている。最後の連だけ長調に転調する。曲調が変わる。
このパターン如何にもベートーヴェン。
中部さんはプログラムノートで「彼の心の中から溢れ出して止められなくなった希望を歌ってい」ると仰っていた。
歌劇「フィデリオ」Op.72より第1幕
第9曲レオノーレのレチタティーヴォとアリア「非道の者よ!どこへ急いで行くのか」
作曲家としてはジェネラリストであったベートーヴェンの作品はご覧の通り広範に及ぶが生涯でオペラを1本しか書いていない。
それが「フィデリオ」で作品から主役であるレオノーレのアリアがピアノとの共演で演奏された。
この第9曲は第1幕ではハイライトとなるシーンでレオノーレは夫を監獄から救う為にフィデリオと云う男に扮して監獄の看守の下働きに
潜入するが夫の身に危険が迫る。夫は刑務所長の不正を告発して逆に囚われの身に。隠滅する為に所長は殺そうとしている。そういう場面
で歌われると理解した方が聴き易い。
「フィデリオ」は日本センチュリー交響楽団が第250回定期演奏会で全幕を演奏会形式で上演したのを聴いた。その時は字幕があったので
ストーリー重視で聴いていたが今日は技巧的にコロラトゥーラが要求される難しい曲であると感じた。
ピアノソナタ第14番嬰ハ短調「月光」Op.27-2
Pf:山口美樹子
代わって主催者まほろば芸術ラボ副理事長の山口さんが、すっと登場。
「月光」はベートーヴェンの三大ソナタの1曲で演奏機会は、とても多い。
元々ベートーヴェンはOp.27の2曲をSonata quasi una Fantasiaと呼んでいた。
Fantasiaと云うように特に14番は幻想的な作品である、と常々感じているが
幻想曲風とも言える。嬰ハ短調は#ドミ#ソが主和音で、これを変形して#ソ#ドミ
として、この分散和音から始まるが、この分散和音が即興曲のスタイルだと言う。
即興曲と幻想曲の境界が曖昧であったから、ベートーヴェンは、こう呼んだ。
第1楽章は染み入るような。第2楽章へはアタッカで、と楽譜にあるが、それに従い
ペダルで音を繋いで第2楽章Allegrettoへ。軽快さがあって良い。4分の3拍子で
複合三部形式なので舞曲みたい。終楽章は嬰ハ短調に戻って、しかも#ソ#ドミが
アルペジオでPresto agitatoで、そうなると一見全く違う曲に聞こえるが実は一貫性
がある。「急き込んで」という意味では全くその通りの演奏であった。残念ながら
繰り返しはカット。このホールでは初めて「月光」を聴いた。
ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第8番ト長調Op.30-3
Vn:黒田小百合
Pf:田宮緋紗子
ベートーヴェンのヴァイオリンソナタは全部で10曲あるが、1~9番は1797~1803年
と偏った時期に作曲されている。およそ20代後半から30代。田宮さんの師匠である宮本
聖子さんはエネルギッシュな時期の作品と仰っていたが、それはその通りなのだが
一方で、この時期はベートーヴェンが音楽家としては致命的な難聴を自覚する時期でも
ある。作品によっては、それが強く現れるが本曲には影を落としていない。
しかしながら10曲あるが管見の限り演奏機会が均一である訳ではなく8番は、
私は今回が5回目。その内、2回が全曲演奏会である。
黒田さんが曲目解説に書かれた事で興味深かったのはベートーヴェンが9歳から
ヴァイオリンを学んでいた話。幼少期からピアノを学んでいたのは有名な話であるが。
ベートーヴェンがヴァイオリンソナタを開放弦が使える調を選んで作曲しているように
私には見えるが、その為かもしれない。大バッハの時代に遡るとヴァイオリンは助奏
楽器でソロとして成り立つ楽器と見做されていなかった。ベートーヴェンはピアノと
ヴァイオリンが対等にアンサンブルできるのだ、と作品中で主張して対等に扱う書法
を追求したのである。ゆえにベートーヴェンのヴァイオリンソナタはヴァイオリン
奏者の間で愛好されている。
8番はト長調で書かれた明るい曲である。シャンパンソナタと呼ばれる事もあるとか。
聴き手にとっては楽しい作品であるが、難曲。第1楽章はソナタ形式で提示部となる
冒頭はユニゾンで。「ト長調という調性はどんな感情からも自由な純一な心を示すと
考えられ」る、とは黒田流。Allegro assaiとある。第2主題はホ長調。これは驚き。
ホ短調ならば平行調であるが。提示部は繰り返しがある。従って再びユニゾン。
第2楽章は属調のニ長調でTempo di minuetto ma molto moderato e grazzioso
とある。メヌエットは実はベートーヴェンの造語で、であるからminuettoの
テンポで。grazziosoの通り優美な演奏である。一般的にメヌエット楽章はABAの
複合三部形式であるが、ベートーヴェンはABABABと提示部とトリオを2回
繰り返してコーダを置いている。
メヌエットは舞曲であるが本曲については終楽章Allegro vivaceの方が心を踊らせ
られる。終楽章もロンド形式なので輪舞曲。軽快な演奏に私もノリノリに。
全く気分爽快な作品であるが、それに似合わない現金なエピソードが伝わっている。
黒田さんも曲目解説で言及されているが本曲を含むOp.30の3曲はロシア皇帝
アレクサンドル1世に献呈されている。献呈されたら献呈料を払う事が当時の習わし
であった。宮本聖子さんのお話しによると1曲5万円が相場。しかしながら皇帝陛下
お支払いにならなかった。後に皇帝のお后にソナチネを作曲して献呈した折、その話
を振ったら、お后様から4曲分まとめてお支払いされた、との事。現在でもOp.30
の3曲はアレクサンダーソナタと呼ぶ。
フィラデルフィア木管五重奏団:編曲
木管五重奏曲 変ホ長調
Ob:塩田 咲
Fl:中川鶴美
Cl:新谷美歩
Hr:藤原郁美
Fg:永易伶菜
原曲は六重奏曲Op.71。作品番号で70近辺は傑作の森とロマン・ローランが呼んだ中期に当たるが、この曲は、そうではない。ベートーヴェンは気が向いたら若い頃の作品を後から出す、そんな作曲家であったが原曲は1796年頃と云うから25・6歳の作品。
知らなかった。原曲はCl2管、Hr2管、Fg2管と云う珍しい編成の木管六重奏。
振り返ると木管アンサンブルをあまり聴いて来なかった。今日もベートーヴェンの作品でなければ、この場にいなかったに違いない。
ベートーヴェンらしいのであるが冒頭に序奏が付いている。ユニゾンのAdagio、主部はAllegro。クラリネットによる軽快なソロ。楽しい。
第2楽章は緩徐楽章でAdagio、主役がファゴットに移る。
第3楽章はメヌエットでquasi Allegretto。
第4楽章Allegroは終楽章に相応しい楽器同士の対話が楽しめる。
すっかりノリノリになってしまった。
楽しい時は、あっという間で、時計は14時半を指し、15分休憩。もう1時間半も経ったの、という感。
ピアノ三重奏曲4番変ロ長調Op.11「街の歌」
Pf:藤本さえ子
Ob:上田ミリ
Fg:田中香織
後半最初に私に本公演の話を齎した藤本さんが出演。今日は知っている作品が多い中、
初めて生演奏を聴く音楽家が多い中、唯一生演奏を聴いた事がある音楽家。しかも時間
が経っているが一度だけベートーヴェンを聴かせて頂いている。「悲愴」の第2楽章。
2017年の10月の事。
ベートーヴェンは番号付きのピアノトリオを7曲書いている。その中で本曲は異色で
クラリネット、チェロ、ピアノのための三重奏曲となっている。明らかに本曲は
ヴァイオリンではなくクラリネットのための曲である。その証拠は調で変ロ長調は
ヴァイオリンに不向きでクラリネットはB管という変ロ長調に適合する楽器がある。
元々クラリネット奏者ヨーゼフ・ベーアの委嘱で作曲された。
今回はピアノ、オーボエ、ファゴットと云う変則的な編成のトリオである。
3楽章構成。ベートーヴェン定番のAllegro con brioで始まる。生き生きと快活な
演奏を、とベートーヴェンが言っている訳であるが三人の演奏は聴いているだけで
楽しい。ピアノトリオは各々の楽器に聴かせ所を作るのが特徴である。響きが違う。
ピアノはアルペジオ。
終楽章Allegrettoにベートーヴェン生涯のテーマ、変奏曲が使われている。
J.ヴァイグルの歌劇「船乗りの愛」のアリアが主題である事は初めて知った。
「街の歌」の由来。もうノリノリ。珍しい曲を珍しい編成で聴いた。
ピアノとチェロのためのソナタ第3番イ長調Op.69
Vc:中島 紗理
Pf:西村 奈菜
プログラムも残り2曲。ところが、この2曲が2曲ともソナタなのである。
先ずはチェロソナタ。5曲あるが、1・2番がOp.5、4・5番がOp.102と偏った時期に作曲されている。
では本曲は。Op.69しかも作曲年代が1808年と傑作の森時代の作品。代表作、交響曲第5番「運命」は1808年12月22日に初演された。
38歳の時。脂がのって素晴らしい作品が数多生まれて、と云う時期。本曲も例外ではなく、これぞチェロソナタと言うべき作品である、と
私は思う。ヴァイオリンソナタの時、私はベートーヴェンはピアノとヴァイオリンを対等に扱う書法を追求した、と
書いたがチェロの場合も同じ事。特にチェロはバロック時代、通奏低音を司る楽器であった。
大バッハの無伴奏チェロ組曲、息子エマニュエルの協奏曲、F.J.ハイドンの協奏曲とリレーされて楽聖へ。
本曲の聴き所は、まず冒頭である。チェロの独奏から本曲は始まる。このカデンツァが全体の提示部となる。中島さんが朗々とチェロを
奏でる。ピアノが受けて旋律。一転してイ短調が現れ「運命の動機」が奏でられて曲調が激しくなる。劇的。ピアノと
チェロが丁々発止の対話を繰り広げて本来ならば冒頭に戻るのだけれども繰り返しが省略された。
この公演時間の長さを冷静に振り返れば仕方ないけれども、入れ込んで聴いていたので残念に思われた。
再現部でもチェロが旋律を奏でるが後ろでピアノが内声を奏でる。従って独奏ではない。逆に受けてピアノ、の部分がピアノソロ。
驚いたのがエンドピンが演奏中に外れた事。
第2楽章はスケルツォ。リズミカル。西村さんの解説によるとシンコペーションが用いられている、との事。イ短調なので暗い速い舞踏曲。
第3楽章は序奏付き終楽章。Adagio cantabileなので、ゆっくり優美に歌うように、
と言っていたら属七。不協和音なので、うんと思って耳を傾けると主部Allegro vivace
へ突入する。このパターンは、ままベートーヴェンにある。2分の2拍子。速くて快活で聴いている方は楽しいが弾き手にとっては大変。
ベートーヴェンは抑々ピアニストであった。そして、かなりのヴィルトゥオーゾであった。それを思い起こさせる。
因みに本楽章も本来ならば主部に繰り返しがある。
お二人のデュオを楽しんだ。
ピアノソナタ第31番変イ長調Op.110
Pf:有馬みどり
最後を飾るのはピアノソナタ第31番。トリに相応しい。①後期三大ソナタの1曲である事と、後期とあるように②ベートーヴェン後期、
しかも最後の作品。後期三大ソナタ30・31・32番の内、出だしが最も輝かしいのが31番だと思う。♭4つの変イ長調で書かれている。
しかしながら3曲とも難曲でベートーヴェン生誕250年の去年、結局一度も生演奏を聴かず。
今日は有馬さんもまた初めて生演奏を聴くが名前は知っていた。何故なら第10回松方ホール音楽賞の大賞受賞者である為。ゆえに実は二重に
楽しみにしていた。
変則的な楽章構成。第1楽章がModerato cantabile molto espressivo。速いでも
遅いでもない楽章であるが結構速いテンポで弾かれていた。鮮やかなアルペジオ。
第2楽章、ド♭シ♭ラソファファ♭ミと始まる。平行調のヘ短調へ転調。第1楽章が
ヘ短調なら第1番や「熱情」の先例があるが。第一波は静か。しかし第二波は強く
激しい。短いが強い印象を残す。ゆえにCMでも使われた。Allegro molto
同主調のヘ長調に転じて楽章を閉じる。
終楽章は♭が1つ増えて変ロ短調で始まる。ベートーヴェンが敬愛していたバッハの作品から採られた嘆きの歌。ベートーヴェンの嘆きが
聞こえてくるような暗く悲しい音楽。後期三大ソナタを作曲した1820年~22年はベートーヴェン50歳の頃であり、
56歳までしか生きなかったベートーヴェンの人生においては晩年。耳は全く聞こえなくなり筆談帳で会話していた。であるから人と関わる
事が億劫になり、かの肖像画のような、しかめっ面になった。実は、あの肖像画は、この頃の作品である。手に持っている楽譜が
ミサソレムニスなので。どれだけ暗黒の世界であったろうと想像する。しかしベートーヴェンは引きこもっていた訳ではなかった。
大バッハが多用したフーガに活路を見出した。先程、難曲だと述べたが一因は、このフーガにある。
ベートーヴェンは28~32番のピアノソナタでフーガを用いた。本曲の場合、
主調変イ長調に戻ってAllegro ma non troppoで提示される。壮大。しかし嘆きの歌が再現され、中断。
しかし再びフーガに戻って最後は変イ長調の主和音♭ラド♭ミの
アルペジオで壮麗に終曲。圧倒的であった。2016年から3年がかりでピアノソナタの全曲演奏会をされていたと云う。納得。
終演は15時45分。従って2時間45分のロングコンサートであった。しかし私は
次から次へとベートーヴェンの室内楽を生演奏で聴けて、とても楽しい時間を過ごした。
時が経つのを忘れ、大都会の真ん中で世の中の喧騒から離れて充足感のある公演であった。
企画から一年以上と云う中、コロナ禍にも倒れず開催までこぎつけて下さった全ての
人に感謝して結びとしたい。ありがとうございました。
会場:あいおいニッセイ同和損保ザ・フェニックスホール
去年はベートーヴェン生誕250年で多数のコンサートが企画された。本公演も同じ動機で昨年5月3日にやる予定であった。
しかし新型コロナウイルスが世界中に流行して次々と流れた。
本公演の話、実は一年前の去年3月に出演者の藤本さんから聞いた。しかし正直、このご時世なので公演中止を覚悟していた。ところが、
そうではなく公演延期になった、と11月に聞いた。日程も空いていたし、好きな作曲家。是非もない。
ザ・フェニックスホールは4回目。何故か4回ともベートーヴェンを聴いている。
室内楽向けのホールであるが客席と舞台が近い。御堂筋に面してスタインウェイを持つホールがあるのか、と最初来た時は驚いた。
今日はベートーヴェンの室内楽を網羅する7組によるジョイントコンサート。
作曲:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)
ゲーテによる3つの歌曲Op.83より
悲しみの喜び
あこがれ
作詞ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
Sop:中部真美
Pf:山本裕美子
文豪ゲーテはドイツを代表する知識人でありベートーヴェンもまたゲーテに憧れた。
例えば劇付随音楽「エグモント」は元々ゲーテの戯曲であり、序曲は著明。
しかしソプラノとピアノによる歌曲があるとは知らなかった。1810年作曲。
悲しみの喜びは短い作品で聴き易い。あこがれは一転して短調。「彼女に憧れて飛び回る主人公を描写する旋律」なのだそうであるが
有節歌曲と云う形で繰り返される。
意外とピアノが鍵を握っている。最後の連だけ長調に転調する。曲調が変わる。
このパターン如何にもベートーヴェン。
中部さんはプログラムノートで「彼の心の中から溢れ出して止められなくなった希望を歌ってい」ると仰っていた。
歌劇「フィデリオ」Op.72より第1幕
第9曲レオノーレのレチタティーヴォとアリア「非道の者よ!どこへ急いで行くのか」
作曲家としてはジェネラリストであったベートーヴェンの作品はご覧の通り広範に及ぶが生涯でオペラを1本しか書いていない。
それが「フィデリオ」で作品から主役であるレオノーレのアリアがピアノとの共演で演奏された。
この第9曲は第1幕ではハイライトとなるシーンでレオノーレは夫を監獄から救う為にフィデリオと云う男に扮して監獄の看守の下働きに
潜入するが夫の身に危険が迫る。夫は刑務所長の不正を告発して逆に囚われの身に。隠滅する為に所長は殺そうとしている。そういう場面
で歌われると理解した方が聴き易い。
「フィデリオ」は日本センチュリー交響楽団が第250回定期演奏会で全幕を演奏会形式で上演したのを聴いた。その時は字幕があったので
ストーリー重視で聴いていたが今日は技巧的にコロラトゥーラが要求される難しい曲であると感じた。
ピアノソナタ第14番嬰ハ短調「月光」Op.27-2
Pf:山口美樹子
代わって主催者まほろば芸術ラボ副理事長の山口さんが、すっと登場。
「月光」はベートーヴェンの三大ソナタの1曲で演奏機会は、とても多い。
元々ベートーヴェンはOp.27の2曲をSonata quasi una Fantasiaと呼んでいた。
Fantasiaと云うように特に14番は幻想的な作品である、と常々感じているが
幻想曲風とも言える。嬰ハ短調は#ドミ#ソが主和音で、これを変形して#ソ#ドミ
として、この分散和音から始まるが、この分散和音が即興曲のスタイルだと言う。
即興曲と幻想曲の境界が曖昧であったから、ベートーヴェンは、こう呼んだ。
第1楽章は染み入るような。第2楽章へはアタッカで、と楽譜にあるが、それに従い
ペダルで音を繋いで第2楽章Allegrettoへ。軽快さがあって良い。4分の3拍子で
複合三部形式なので舞曲みたい。終楽章は嬰ハ短調に戻って、しかも#ソ#ドミが
アルペジオでPresto agitatoで、そうなると一見全く違う曲に聞こえるが実は一貫性
がある。「急き込んで」という意味では全くその通りの演奏であった。残念ながら
繰り返しはカット。このホールでは初めて「月光」を聴いた。
ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第8番ト長調Op.30-3
Vn:黒田小百合
Pf:田宮緋紗子
ベートーヴェンのヴァイオリンソナタは全部で10曲あるが、1~9番は1797~1803年
と偏った時期に作曲されている。およそ20代後半から30代。田宮さんの師匠である宮本
聖子さんはエネルギッシュな時期の作品と仰っていたが、それはその通りなのだが
一方で、この時期はベートーヴェンが音楽家としては致命的な難聴を自覚する時期でも
ある。作品によっては、それが強く現れるが本曲には影を落としていない。
しかしながら10曲あるが管見の限り演奏機会が均一である訳ではなく8番は、
私は今回が5回目。その内、2回が全曲演奏会である。
黒田さんが曲目解説に書かれた事で興味深かったのはベートーヴェンが9歳から
ヴァイオリンを学んでいた話。幼少期からピアノを学んでいたのは有名な話であるが。
ベートーヴェンがヴァイオリンソナタを開放弦が使える調を選んで作曲しているように
私には見えるが、その為かもしれない。大バッハの時代に遡るとヴァイオリンは助奏
楽器でソロとして成り立つ楽器と見做されていなかった。ベートーヴェンはピアノと
ヴァイオリンが対等にアンサンブルできるのだ、と作品中で主張して対等に扱う書法
を追求したのである。ゆえにベートーヴェンのヴァイオリンソナタはヴァイオリン
奏者の間で愛好されている。
8番はト長調で書かれた明るい曲である。シャンパンソナタと呼ばれる事もあるとか。
聴き手にとっては楽しい作品であるが、難曲。第1楽章はソナタ形式で提示部となる
冒頭はユニゾンで。「ト長調という調性はどんな感情からも自由な純一な心を示すと
考えられ」る、とは黒田流。Allegro assaiとある。第2主題はホ長調。これは驚き。
ホ短調ならば平行調であるが。提示部は繰り返しがある。従って再びユニゾン。
第2楽章は属調のニ長調でTempo di minuetto ma molto moderato e grazzioso
とある。メヌエットは実はベートーヴェンの造語で、であるからminuettoの
テンポで。grazziosoの通り優美な演奏である。一般的にメヌエット楽章はABAの
複合三部形式であるが、ベートーヴェンはABABABと提示部とトリオを2回
繰り返してコーダを置いている。
メヌエットは舞曲であるが本曲については終楽章Allegro vivaceの方が心を踊らせ
られる。終楽章もロンド形式なので輪舞曲。軽快な演奏に私もノリノリに。
全く気分爽快な作品であるが、それに似合わない現金なエピソードが伝わっている。
黒田さんも曲目解説で言及されているが本曲を含むOp.30の3曲はロシア皇帝
アレクサンドル1世に献呈されている。献呈されたら献呈料を払う事が当時の習わし
であった。宮本聖子さんのお話しによると1曲5万円が相場。しかしながら皇帝陛下
お支払いにならなかった。後に皇帝のお后にソナチネを作曲して献呈した折、その話
を振ったら、お后様から4曲分まとめてお支払いされた、との事。現在でもOp.30
の3曲はアレクサンダーソナタと呼ぶ。
フィラデルフィア木管五重奏団:編曲
木管五重奏曲 変ホ長調
Ob:塩田 咲
Fl:中川鶴美
Cl:新谷美歩
Hr:藤原郁美
Fg:永易伶菜
原曲は六重奏曲Op.71。作品番号で70近辺は傑作の森とロマン・ローランが呼んだ中期に当たるが、この曲は、そうではない。ベートーヴェンは気が向いたら若い頃の作品を後から出す、そんな作曲家であったが原曲は1796年頃と云うから25・6歳の作品。
知らなかった。原曲はCl2管、Hr2管、Fg2管と云う珍しい編成の木管六重奏。
振り返ると木管アンサンブルをあまり聴いて来なかった。今日もベートーヴェンの作品でなければ、この場にいなかったに違いない。
ベートーヴェンらしいのであるが冒頭に序奏が付いている。ユニゾンのAdagio、主部はAllegro。クラリネットによる軽快なソロ。楽しい。
第2楽章は緩徐楽章でAdagio、主役がファゴットに移る。
第3楽章はメヌエットでquasi Allegretto。
第4楽章Allegroは終楽章に相応しい楽器同士の対話が楽しめる。
すっかりノリノリになってしまった。
楽しい時は、あっという間で、時計は14時半を指し、15分休憩。もう1時間半も経ったの、という感。
ピアノ三重奏曲4番変ロ長調Op.11「街の歌」
Pf:藤本さえ子
Ob:上田ミリ
Fg:田中香織
後半最初に私に本公演の話を齎した藤本さんが出演。今日は知っている作品が多い中、
初めて生演奏を聴く音楽家が多い中、唯一生演奏を聴いた事がある音楽家。しかも時間
が経っているが一度だけベートーヴェンを聴かせて頂いている。「悲愴」の第2楽章。
2017年の10月の事。
ベートーヴェンは番号付きのピアノトリオを7曲書いている。その中で本曲は異色で
クラリネット、チェロ、ピアノのための三重奏曲となっている。明らかに本曲は
ヴァイオリンではなくクラリネットのための曲である。その証拠は調で変ロ長調は
ヴァイオリンに不向きでクラリネットはB管という変ロ長調に適合する楽器がある。
元々クラリネット奏者ヨーゼフ・ベーアの委嘱で作曲された。
今回はピアノ、オーボエ、ファゴットと云う変則的な編成のトリオである。
3楽章構成。ベートーヴェン定番のAllegro con brioで始まる。生き生きと快活な
演奏を、とベートーヴェンが言っている訳であるが三人の演奏は聴いているだけで
楽しい。ピアノトリオは各々の楽器に聴かせ所を作るのが特徴である。響きが違う。
ピアノはアルペジオ。
終楽章Allegrettoにベートーヴェン生涯のテーマ、変奏曲が使われている。
J.ヴァイグルの歌劇「船乗りの愛」のアリアが主題である事は初めて知った。
「街の歌」の由来。もうノリノリ。珍しい曲を珍しい編成で聴いた。
ピアノとチェロのためのソナタ第3番イ長調Op.69
Vc:中島 紗理
Pf:西村 奈菜
プログラムも残り2曲。ところが、この2曲が2曲ともソナタなのである。
先ずはチェロソナタ。5曲あるが、1・2番がOp.5、4・5番がOp.102と偏った時期に作曲されている。
では本曲は。Op.69しかも作曲年代が1808年と傑作の森時代の作品。代表作、交響曲第5番「運命」は1808年12月22日に初演された。
38歳の時。脂がのって素晴らしい作品が数多生まれて、と云う時期。本曲も例外ではなく、これぞチェロソナタと言うべき作品である、と
私は思う。ヴァイオリンソナタの時、私はベートーヴェンはピアノとヴァイオリンを対等に扱う書法を追求した、と
書いたがチェロの場合も同じ事。特にチェロはバロック時代、通奏低音を司る楽器であった。
大バッハの無伴奏チェロ組曲、息子エマニュエルの協奏曲、F.J.ハイドンの協奏曲とリレーされて楽聖へ。
本曲の聴き所は、まず冒頭である。チェロの独奏から本曲は始まる。このカデンツァが全体の提示部となる。中島さんが朗々とチェロを
奏でる。ピアノが受けて旋律。一転してイ短調が現れ「運命の動機」が奏でられて曲調が激しくなる。劇的。ピアノと
チェロが丁々発止の対話を繰り広げて本来ならば冒頭に戻るのだけれども繰り返しが省略された。
この公演時間の長さを冷静に振り返れば仕方ないけれども、入れ込んで聴いていたので残念に思われた。
再現部でもチェロが旋律を奏でるが後ろでピアノが内声を奏でる。従って独奏ではない。逆に受けてピアノ、の部分がピアノソロ。
驚いたのがエンドピンが演奏中に外れた事。
第2楽章はスケルツォ。リズミカル。西村さんの解説によるとシンコペーションが用いられている、との事。イ短調なので暗い速い舞踏曲。
第3楽章は序奏付き終楽章。Adagio cantabileなので、ゆっくり優美に歌うように、
と言っていたら属七。不協和音なので、うんと思って耳を傾けると主部Allegro vivace
へ突入する。このパターンは、ままベートーヴェンにある。2分の2拍子。速くて快活で聴いている方は楽しいが弾き手にとっては大変。
ベートーヴェンは抑々ピアニストであった。そして、かなりのヴィルトゥオーゾであった。それを思い起こさせる。
因みに本楽章も本来ならば主部に繰り返しがある。
お二人のデュオを楽しんだ。
ピアノソナタ第31番変イ長調Op.110
Pf:有馬みどり
最後を飾るのはピアノソナタ第31番。トリに相応しい。①後期三大ソナタの1曲である事と、後期とあるように②ベートーヴェン後期、
しかも最後の作品。後期三大ソナタ30・31・32番の内、出だしが最も輝かしいのが31番だと思う。♭4つの変イ長調で書かれている。
しかしながら3曲とも難曲でベートーヴェン生誕250年の去年、結局一度も生演奏を聴かず。
今日は有馬さんもまた初めて生演奏を聴くが名前は知っていた。何故なら第10回松方ホール音楽賞の大賞受賞者である為。ゆえに実は二重に
楽しみにしていた。
変則的な楽章構成。第1楽章がModerato cantabile molto espressivo。速いでも
遅いでもない楽章であるが結構速いテンポで弾かれていた。鮮やかなアルペジオ。
第2楽章、ド♭シ♭ラソファファ♭ミと始まる。平行調のヘ短調へ転調。第1楽章が
ヘ短調なら第1番や「熱情」の先例があるが。第一波は静か。しかし第二波は強く
激しい。短いが強い印象を残す。ゆえにCMでも使われた。Allegro molto
同主調のヘ長調に転じて楽章を閉じる。
終楽章は♭が1つ増えて変ロ短調で始まる。ベートーヴェンが敬愛していたバッハの作品から採られた嘆きの歌。ベートーヴェンの嘆きが
聞こえてくるような暗く悲しい音楽。後期三大ソナタを作曲した1820年~22年はベートーヴェン50歳の頃であり、
56歳までしか生きなかったベートーヴェンの人生においては晩年。耳は全く聞こえなくなり筆談帳で会話していた。であるから人と関わる
事が億劫になり、かの肖像画のような、しかめっ面になった。実は、あの肖像画は、この頃の作品である。手に持っている楽譜が
ミサソレムニスなので。どれだけ暗黒の世界であったろうと想像する。しかしベートーヴェンは引きこもっていた訳ではなかった。
大バッハが多用したフーガに活路を見出した。先程、難曲だと述べたが一因は、このフーガにある。
ベートーヴェンは28~32番のピアノソナタでフーガを用いた。本曲の場合、
主調変イ長調に戻ってAllegro ma non troppoで提示される。壮大。しかし嘆きの歌が再現され、中断。
しかし再びフーガに戻って最後は変イ長調の主和音♭ラド♭ミの
アルペジオで壮麗に終曲。圧倒的であった。2016年から3年がかりでピアノソナタの全曲演奏会をされていたと云う。納得。
終演は15時45分。従って2時間45分のロングコンサートであった。しかし私は
次から次へとベートーヴェンの室内楽を生演奏で聴けて、とても楽しい時間を過ごした。
時が経つのを忘れ、大都会の真ん中で世の中の喧騒から離れて充足感のある公演であった。
企画から一年以上と云う中、コロナ禍にも倒れず開催までこぎつけて下さった全ての
人に感謝して結びとしたい。ありがとうございました。